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今回は「A3」について書いてみます。
この単行本の以前に著者は映像作品として「A」「A2」と題してオウム真理教
(現アレフ)の施設取材をしていました。
「A2」、迄は教団施設のドキュメンタリー映像だったのに対して今回の「A3」で
は主題を教団そのものではなく、麻原彰晃(本名松本智津御夫)は何者であっ
たのか?何を思い何を願い何をしようとしていたのか?
事件以降この社会はどのように変わったのか、またどのように変わりつつ
あるのか?を書かれています。
著者はオウム真理教が起こした13の犯罪については裁かれるべきで
あるとしたうえで。
現代社会におけるマスコミ報道から、オウム真理教絶対悪、二元論(悪か
善か?)
司法や一般行政の在り方についての疑問、麻原彰晃の裁判傍聴の際
著者の視観による、麻原の言動は常軌を逸しており、訴訟能力の有無に
関して問題を定義した上で精神鑑定の必要性や治療の必要性について
書いています。単純に詐病としてとらえて良いものなのか?
という疑問から真実を知る為の裁判所の決定に対する不信感も
書かれています。
マスコミの報道でしか知りえなかった事件の本質やその裏側に潜む
事実を知る一冊ではないかと思います。
参考映像はこちら↓
単行本の購入はこちらから↓


この単行本の以前に著者は映像作品として「A」「A2」と題してオウム真理教
(現アレフ)の施設取材をしていました。
「A2」、迄は教団施設のドキュメンタリー映像だったのに対して今回の「A3」で
は主題を教団そのものではなく、麻原彰晃(本名松本智津御夫)は何者であっ
たのか?何を思い何を願い何をしようとしていたのか?
事件以降この社会はどのように変わったのか、またどのように変わりつつ
あるのか?を書かれています。
著者はオウム真理教が起こした13の犯罪については裁かれるべきで
あるとしたうえで。
現代社会におけるマスコミ報道から、オウム真理教絶対悪、二元論(悪か
善か?)
司法や一般行政の在り方についての疑問、麻原彰晃の裁判傍聴の際
著者の視観による、麻原の言動は常軌を逸しており、訴訟能力の有無に
関して問題を定義した上で精神鑑定の必要性や治療の必要性について
書いています。単純に詐病としてとらえて良いものなのか?
という疑問から真実を知る為の裁判所の決定に対する不信感も
書かれています。
マスコミの報道でしか知りえなかった事件の本質やその裏側に潜む
事実を知る一冊ではないかと思います。
参考映像はこちら↓
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最近面白い動画を見て興味がわいたので
そのことを書こうと思います。
一つ目は「博士の異常な鼎談」ゲストは清田益章氏でした
これです↓
これみて久しぶりに、超能力に関する話で、
この番組中に参考に使われていた本を読んでみたくなりました。
残念ながらまだσ(o^_^o)は読んではいませんが。
これです↓
2つ目も同じ番組なんですが、ゲストが西村博之氏でした。
こちら↓
この人は2ちゃんねるの元管理人で現ニコニコ動画の
取締役をされていて、いろんな話をしていてくれて
ネットビジネスに興味があるσ(o^_^o)は
書店で一冊買ってみました。
こちら↓
他にこんな本もありますねー↓
小説もいいんですけどたまには、時代に合わせる
意味でこんな感じの本もありかなっておもいましたねー。
まずは幼児期の頃のσ(o^_^o)は右手で皆が道具を
使っているのをまのあたりにして、左で道具を使うため
不器用で図画工作などは、殆ど保育士の先生してもらう
というのが常でした。
体を動かすのも苦手で、体育などは動かずに立っているか。
トイレ逃げ込んでいたりしていました。
小学校に入学してからも、周りの児童から浮いてしまう存在で
常にいじめの対象になる為、性格的にも、かなり屈折していました。
文字を書くことについては、母親が心配して、近隣の公民館
で週末土曜日に書道教室に通って筆を持つ手を強制的に
右に変更されました。
おかげで、文字を書くことは、普通程度にできるようになりました。
そろばんに関しては、学校から、4kmほどの距離の場所で
父方の叔父叔母夫婦が講師をしていたので、バスを使い
通いました。後にわかったことですが、小学校の低学年の
頃には、精神的不安感から、睡眠障害があり、教室で集中
出来ないため、叔父宅の部屋で1~2時間程度睡眠を
とらせてもらっていたようです。
他の同学年の子供達とは覚えにあまりに差がついて
しまったので、途中でやめてしまったそうです。
中学生の頃は、教室での授業もあまり興味がもてず。
授業中も一人で文庫本を持ち込んでSF小説に夢中に
なっていました。
その頃は、家庭用のゲームが普及しはじめおり、家では
買い与えて貰えない為、友達の家に出かけては遊んで
いました。
高校の進学は、地元の経理士専門校を滑り止めに、
人気のない、公立の農業科のある学校を受けました。
入学式の当日にクラスの数名が呼び出され、定員われの
恐れがある為、予備入学であることを、告げられました。
入学当時は、全国的に勉学について行けず非行に走って
しまう生徒も多くいた時代で、うちの学校は特にその代表
として有名な学校でした。
進級もかなり危ぶまれましたが、学校側の配慮もあり
なんとか卒業にこぎつけました。
学生時代は、とにかく、苦しく、周りとのトラブルも多く、
自分に関係する人々すべてが信じられず。
人間不信に陥っており、気を許せる友人も数名で
した。
長くなってしまったので、就職後の話は次回また機会が
あれば書かせてもらいます。
使っているのをまのあたりにして、左で道具を使うため
不器用で図画工作などは、殆ど保育士の先生してもらう
というのが常でした。
体を動かすのも苦手で、体育などは動かずに立っているか。
トイレ逃げ込んでいたりしていました。
小学校に入学してからも、周りの児童から浮いてしまう存在で
常にいじめの対象になる為、性格的にも、かなり屈折していました。
文字を書くことについては、母親が心配して、近隣の公民館
で週末土曜日に書道教室に通って筆を持つ手を強制的に
右に変更されました。
おかげで、文字を書くことは、普通程度にできるようになりました。
そろばんに関しては、学校から、4kmほどの距離の場所で
父方の叔父叔母夫婦が講師をしていたので、バスを使い
通いました。後にわかったことですが、小学校の低学年の
頃には、精神的不安感から、睡眠障害があり、教室で集中
出来ないため、叔父宅の部屋で1~2時間程度睡眠を
とらせてもらっていたようです。
他の同学年の子供達とは覚えにあまりに差がついて
しまったので、途中でやめてしまったそうです。
中学生の頃は、教室での授業もあまり興味がもてず。
授業中も一人で文庫本を持ち込んでSF小説に夢中に
なっていました。
その頃は、家庭用のゲームが普及しはじめおり、家では
買い与えて貰えない為、友達の家に出かけては遊んで
いました。
高校の進学は、地元の経理士専門校を滑り止めに、
人気のない、公立の農業科のある学校を受けました。
入学式の当日にクラスの数名が呼び出され、定員われの
恐れがある為、予備入学であることを、告げられました。
入学当時は、全国的に勉学について行けず非行に走って
しまう生徒も多くいた時代で、うちの学校は特にその代表
として有名な学校でした。
進級もかなり危ぶまれましたが、学校側の配慮もあり
なんとか卒業にこぎつけました。
学生時代は、とにかく、苦しく、周りとのトラブルも多く、
自分に関係する人々すべてが信じられず。
人間不信に陥っており、気を許せる友人も数名で
した。
長くなってしまったので、就職後の話は次回また機会が
あれば書かせてもらいます。
昨夜の記事にも書きましたが
まずは、σ(o^_^o)を知ってもらうことからはじめたい
と思います。
小学校に上がったら頃から、体が小さい方でした、
現在でも身長163cm体重48kgと成人の男性としては、
けして大きいほうではないと思いますねー。
思っていることを人に伝えることが苦手な方でした。
気が付くと爪をかむ癖がでていました。
そこから、細菌が体に入ってしまい、手足にアトピー性皮膚炎
がでてくるようになりました。
幼少期は特にひどく搔き毟ってしまうため、とびひのようなかさぶた
が体のいたるところに出てしまい。
両親は病気を克服させるためにいろいろな薬や漢方薬や
薬草などを買ってきたり、皮膚科を何件もあたり、治療に努めて
くれました。
加えて右足の指の曲げ伸ばしが困難なため、引きずるような
歩き方をするという特徴がありました。
30代のころ、ひどい腰痛に悩まされ整形外科で検査を受けた所
右足筋肉の発達に若干の障害があることがわかりました。
年齢的にも、リハビリは困難だろうとのことで、
日常生活に支障をきたさない程度であることから、
その部分での障害認定にはいたりませんんでした。
そして、40代に入った2年ほど前に、両親がみたTV番組で
紹介されていた、発達障害(アスペルガー障害、AD/HD)
可能性について聞かれました。
最初はσ(o^_^o)本人も半信半疑でした。
YOU TUBEにUPされていた泉流星さんの話を見て、
「ええ、これって、σ(o^_^o)にあてはまる項目が多すぎ。」
が第一印象でした。
それで、インターネットで色々と調べて行くと、あまりの一致に
驚くばかりでした。
地元の発達障害支援センターからの紹介で障碍者就労支援
相談窓口に相談しはじめたのをきっかけに、神経科に医師に
相談し、1年後の昨年11月に広汎性発達障害の診断を下されました。
まずは、σ(o^_^o)を知ってもらうことからはじめたい
と思います。
小学校に上がったら頃から、体が小さい方でした、
現在でも身長163cm体重48kgと成人の男性としては、
けして大きいほうではないと思いますねー。
思っていることを人に伝えることが苦手な方でした。
気が付くと爪をかむ癖がでていました。
そこから、細菌が体に入ってしまい、手足にアトピー性皮膚炎
がでてくるようになりました。
幼少期は特にひどく搔き毟ってしまうため、とびひのようなかさぶた
が体のいたるところに出てしまい。
両親は病気を克服させるためにいろいろな薬や漢方薬や
薬草などを買ってきたり、皮膚科を何件もあたり、治療に努めて
くれました。
加えて右足の指の曲げ伸ばしが困難なため、引きずるような
歩き方をするという特徴がありました。
30代のころ、ひどい腰痛に悩まされ整形外科で検査を受けた所
右足筋肉の発達に若干の障害があることがわかりました。
年齢的にも、リハビリは困難だろうとのことで、
日常生活に支障をきたさない程度であることから、
その部分での障害認定にはいたりませんんでした。
そして、40代に入った2年ほど前に、両親がみたTV番組で
紹介されていた、発達障害(アスペルガー障害、AD/HD)
可能性について聞かれました。
最初はσ(o^_^o)本人も半信半疑でした。
YOU TUBEにUPされていた泉流星さんの話を見て、
「ええ、これって、σ(o^_^o)にあてはまる項目が多すぎ。」
が第一印象でした。
それで、インターネットで色々と調べて行くと、あまりの一致に
驚くばかりでした。
地元の発達障害支援センターからの紹介で障碍者就労支援
相談窓口に相談しはじめたのをきっかけに、神経科に医師に
相談し、1年後の昨年11月に広汎性発達障害の診断を下されました。
このたび3度目のブログタイトルの変更を決意しました。
タイトル変更に加えプロフィールの部分も変更をかけました。
以前のプロフィールは性別も非公開にしていたため。
このブログを見に来てくださった、読者の方々には伝わり
にくいのでは、記事の内容も、まとまりがなくわかりずらいのでは
という疑問がわいたからです。
まずは、σ(o^_^o)という人柄を知ってもらうことが、
大事だということに、きがつきました。
それは、そうですよねーσ(o^_^o)がどんな人物なのか
わからないうちから、こんな本よみました。
よんでみては、どうでしょう、こんなCD聞きました、
発売されました。
では、何を伝えたいのか、さっぱりわからないですものねー。
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http://syunoujouzu.blog.shinobi.jp/
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プロフィール
HN:
☆ユキオ☆
性別:
男性
自己紹介:
出生年;1967年
性別;♂(リアル生活上)思考や行動などは♀ぽいなど といわれることもしばしば。
性格;内向的でインドア派ですね
出身地;静岡県西部
好きな音楽:80's邦楽へヴィーメタルとJAZZとロマン 歌謡(大西ゆかり等)です。
好きな映画:大林宣彦監督作品、堤幸彦監督作品、押 井守監督作品、等です。
好きなゲーム:MGSシリーズ、FFシリーズ、DQ シリーズ、などです。
性別;♂(リアル生活上)思考や行動などは♀ぽいなど といわれることもしばしば。
性格;内向的でインドア派ですね
出身地;静岡県西部
好きな音楽:80's邦楽へヴィーメタルとJAZZとロマン 歌謡(大西ゆかり等)です。
好きな映画:大林宣彦監督作品、堤幸彦監督作品、押 井守監督作品、等です。
好きなゲーム:MGSシリーズ、FFシリーズ、DQ シリーズ、などです。
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